前回は、ねね(飼い猫)との出会いのお話でした。
その後も思い返すと、色々な思い出があります。
…ある日、朝のジョギングから帰って牛乳を飲んでいたら、気づかないうちに、ねねが冷蔵庫に隠れていて、家を出る時にか細い声が聞こえて気づき、危うく冷やし猫になりそうだった事。
…網戸を挟んで野良猫と大喧嘩をしていたので、慌ててカーテンを閉めたら、ねねが動く物に反応して私の腕に噛みつき、ブラーンっとぶら下がって痛かった事。
血が噴き出したな〜(笑)
本当にたくさんの思い出があります。
ねねが家に来て、19年経った頃です。
人間で言えば、もう80歳〜90歳くらいになるのでしょうか。
…ある日から、突然ご飯を食べなくなりました。
少し食べても、すぐに吐き出してしまいます。
1日経っても、2日経っても。食事はとらなくなり、横になってぐったりして寝ている事が多くなりました。
明らかに普段と様子が違います。
「なんか様子がおかしい…」
そう思い、動物病院へ連れていきました。
病院に着くと、すぐにレントゲンを撮る事になりました。
ぐったりとしたまま、されるがままに処置を受けています。
レントゲンの結果、ねねは高齢な猫がかかりやすい病気のひとつ、腎不全になっているのがわかりました。
腎臓の大部分が機能していないとの事で、しばらく入院して様子を見た方が良いと言われました。
その日から2日間、動物病院に入院をすることにしました。
そして3日目、病院に様子を見に行くと、痩せたねねがケージからこちらを見ています。
一瞬、立ち上がりろうとしましたが、ユラリとよろけて倒れてしまいました。元気になっている様子は見られませんでした。
私「先生、これって入院してれば良くなるんですか?」
獣医「この2日間、救急体制で処置をして様子を見てきましたが、食事どころか水も飲んでいないです。大変に言いづらい事ですが、あと2、3日もつかどうかだと思います。」
私「…わかりました、では連れて帰ってあとは家で面倒をみます。」
こうして、ねねは家に帰ってきました。
獣医さんからは、体温の維持もできないから体を温めてあげてくださいと言われたので、電気アンカを買ってタオルで巻き、ねねのケージに入れました。
そして、インターネットで調べてみると、弱った動物にはスポイトで水を飲ませると良い、、というのを見つけたので、文房具屋でスポイトを買ってきました。
さっそく家で水をあげてみると、口の中に入った水は少し舐めています。しばらく続けていると、少しずつですが水を舐めています。
それならばと、今度は腎臓病用のエサを水に溶かして口に入れてみました。すると、少しずつですが、それもピチャピチャと舐めながら飲み込んでいます。
「ねね、お前まだ生きようとしてるんだな…。」
無言の言葉でそう感じました。
実はスポイトで水をあげると良いというのを、インターネットで見つけた時に、、
「そこまでして動物を生かそうとするのは、人間のエゴでしかない。動物の気持ちを考えていない。」
そんな内容の書き込みも見かけました。
たしかに、それは生きて欲しいという、人間のエゴかもしれない…とも思いながら、それでもやってみると、ねねはまだ生きようとしている事を感じました。
それからは、毎日ねねの介護が始まりました。
本来は朝、昼、晩と食事をあげるのが良いのでしょうが、仕事の関係で朝から夜まで家にはいれません。
ですので、夜帰ってから家にいる間が勝負になります。
とにかく食事の時間をつくろうと考えて、夜の帰宅時、寝る前、朝起きた時と、一日3回スポイトを使って食事をとらせました。
少しずつなので、一回に30分くらいかけて食事をさせます。
量こそ食べられませんが、それでもねねは、ピチャピチャと水に溶かした腎臓病用のエサを舐めていました。
私自身はじめての経験ですし、いつの間にか心の支えになっていた猫の病気です。
ずっと心配で、お世話になっている先生方とも、会えばその話しをしていました。
「まず、生き物だから、寿命があるのは仕方がないんだよ。」
「人間の胸からは良い気が出ているから、毎日抱いてあげなさい。」
「たくさん声をかけて、話しかけてあげなさい。言葉はわからなくても思いが通じるから。」
そうアドバイスをいただいたので、毎日ねねを胸に抱きながら、話しかけていました。
「お前が、生きたいって思うだけ生きればいいよ。しんどくなったら、無理せずに、休んでいいんだからね。」
…そして約2週間が経ちました。
ねねは少しずつ元気になりました。
始めは立てるようになりました。立つだけですが、とても嬉しかった。
だんだんと、自分で水を飲むようになり、よろけながらもトイレの方へ歩くようになりました。
徐々に自分でエサも食べるようになり、部屋の中を少し歩けるようになっていきました。
動物病院を出る時から考えると、本当に奇跡的な回復をしました。
さらにしばらくすると、ほぼ普段どおりの生活に戻ることが出来ました。
ぽっちゃりしていた体型は痩せてしまい、横になって休んでいる事が多くなりましたが、自立して生活ができるようになりました。
当時は気功の修行中で、家で毎日決められた時間、馬歩站椿(ばほたんとう)から始めて、免疫功法を練功していました。
すると、ねねは必ず足元まで歩いて寄ってきて、そこにちょこんと座ります。
「空勁気功(免疫功法)」の本の中に、、
「超能力者は、馬歩站椿をしている人の足元に気の場が見えると言います。」
というフレーズがあり、その本を始めて読んだ時には正直、、
「超能力者って…。」
と思ってましたが(当時はですよ!先生には申し訳ない。)、気の場があると言うのは本当かもしれないな、、と腑に落ちました。
本当に、毎回必ず寄ってきて、練功が終わるまで足元に座っていました。
今考えても不思議な体験です。
そんな生活が約1年続いたある日、ねねは旅立ちました。
狭い路地で、出会ってから20年、最後はお互い納得してお別れできた気がします。寿命がきたんだなと思えました。
まあ、残された方はいつでも寂しいものですが。
葬儀をしてくれた業者から遺影をもらいました。
そこには、お願いしたメッセージを記してくれています。
「ねね、今まで有難う。また一緒に遊ぼうね。」
将来、いつか自分が死んだ時には、あの世でまた会えます。
その時を楽しみにして、というと不謹慎かもしれませんが、もう少しこちらの世界でやらなきゃいけないことを頑張ろうと思っています。
それまでにやるべき事が、まだ沢山ありますから♪
さあ、今日も忙しくなるぞ〜〜っ!
ねね、そこから見守っててなっ!!
今日はここまで。
最後までご覧いただきまして、有難うございます!